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2025年09月24日

『宝塚歌劇団、公演のショーで使用の軍歌取りやめ 疑問視する声受け楽曲変更へ』by「神戸新聞NEXT」

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宙組公演のショー「BAYSIDE STAR」の中の「海ゆかば」歌唱シーン=宝塚市栄町1、宝塚大劇場(Copyright(C) 2025 神戸新聞社 All Rights Reserved.)

===>Yahooエキスパートのコメント
辻田真佐憲:評論家・近現代史研究者

解説 「海ゆかば」は日中戦争初頭、政府の戦意高揚キャンペーンに呼応して、日本放送協会(現NHK)がラジオで放送した特番「国民精神総動員運動強調週間」のために作られました。歌詞は『万葉集』に由来し、「海でも山でも天皇のおそばで死ぬ覚悟だ。打ち捨てられた屍となっても構わない」という意味です。その後、太平洋戦争下では大政翼賛会によって「君が代」に次ぐ「国民の歌」とされ、広く歌われました。玉砕報道のBGMとしても流されたため、戦後は荘重な旋律と相まって「鎮魂の歌」とも解釈され、とくに保守派がその点を強調して称賛する傾向があります。当該公演の内容は確認できていませんが、このような経緯を持つ歌を今回の文脈で用いたことが適切だったのか、それとも「鎮魂の歌」というイメージのみで使ってしまったのか、このあたりが問題の焦点となるでしょう。

===>Yahooエキスパートのコメント
宮本聖二:立教大学大学院 客員教授 JFC ファクトチェックトレーナー

見解 戦争体験を伺ってきた中で、玉砕戦の間際や艦船が沈没する時、将兵が海に投げだされた時に海ゆかばを皆で歌ったという経験を聞きました。
一方、市民にもこの歌は浸透していました。
海軍の拠点で連合軍機動部隊の激しい空襲を受けた広島・呉は、1945年の7月1日にB29の空襲を受けました。
それまでの幾度もの空襲から呉市は丘の中腹に巨大な防空壕をつくって備えていました。
編隊の襲来で多くの人がその壕に詰めかけましたが、建物疎開が間に合わず入り口側に残っていた家に火がつき、大量の煙が壕に入って来ました。
人々は窒息間際になって、阿鼻叫喚の中で海ゆかばを合唱したと言います。
そうした事実を再現するものであったり、国家総動員と日本人というテーマだったりするならば、必要な演出かもしれませんが、国民を戦争に駆り立て国のために命を投げ出すことを求めた象徴であるだけに忌避感を感じる人は少なくないでしょう。

===>Yahooエキスパートのコメント
新川貴詩:美術/舞台芸術ジャーナリスト

補足 記事に「軍歌の使用を疑問視する声が相次いでいた」とありますが、その指摘はもっともです。というのも、宝塚歌劇団は第二次大戦中、軍隊と深く結びついていたからです。当時、宝塚はたとえば「南京爆撃隊」とか「翼の決戦」といった歌劇を上演していました。観客の戦意高揚を目的とした作品です。また、移動演劇といって農村や学校などを巡って、いわゆる「国策演劇」を上演をしたり、戦地に出向いて軍人への慰問活動もしたりしていました。さらに、日比谷の東京宝塚劇場は、戦争が激しくなると興行不可となり、風船爆弾をつくる工場と化しました。そんなわけで、宝塚歌劇団は戦中、軍隊との結びつきが強かったわけです。他の劇団も同様でしたが、そんな展開は二度と繰り返してほしくありません。

=>1位コメント
これに限らず、企業側は一部だけの特殊な意見ですぐ折れるような軟弱な態度を改めるべき。
こういった風潮の後押しによってモンスターカスタマーやモンスターペアレントが社会で大きな顔をするようにもなる。
個人的に気に入らないことは何でも文句をいう。
それを反映しないのは悪だ。
こんな「正義」は禍々しい。
自称「正義」にエサを与えるようなマインドは各所で改善して欲しい。

=>2位コメント
歌詞の意味を理解した上で歌うならいいじゃないか。コンプラかなんか知らんがなんでもダメダメで片付けると、伝えるべきこと、伝わるべきことが途切れてしまう。それが文化・芸術なのかどうか

=>3位コメント
マイノリティの意見を聞くことも重要ですが、聞きすぎるとアメリカみたいに訳のわからない方向性にいきますよ。アパレルのモデルなど美貌に優れた人を起用すると叩かれて、訳のわからない醜い肥満の女性を採用したりしています。軍国時代の歌劇をやるなら、当時の楽曲は大切にすべきだと思いますが。経営側も演出家やプロデューサがやると決めたなら少しはその表現を守ったらどうなんでしょうか。歌劇に思い入れがなくて、事なかれ主義で定年まで乗り切れたらいいみたいな人が経営してるんじゃないですか。

=>4位コメント
「海ゆかば」は単なる軍歌ではなく、万葉集に源流を持つ大伴家持の長歌を基にした、日本文化に深く根差した鎮魂の歌である。
戦争の時代に利用された歴史は否定できないが、だからといってその旋律や言葉に込められた魂まで抹消してよいのだろうか。宝塚の舞台で響いた「海ゆかば」は、戦意高揚ではなく、命を落としたすべての人への追悼として鳴り響いていた。
芸術において過去の影を恐れて封印することは、むしろ歴史の複雑さを忘れさせてしまう。取り止めの決断は、観客に考える機会を奪うものだったのではないか。

=>5位コメント
何というか、例えばドリフの軍服とか国民服とか来てるコントなどもそうだけど終戦からまだ時間が経ってない頃、戦争のトラウマが残る人が無数にいる状態だった頃の方が寛容で、100年近く経って戦争の記憶が薄れてきた現在の方が神経質になりすぎて過剰なタブー視をしている。
普通は逆だと思うんだけど。
その頃戦争の当事者に受け入れられていたものを後世の価値観でタブー視してしまうと戦争を忘れることに繋がる気がしてならない。
人々が忘れるとまた同じことが起こる。

【ヤフコメへのコメント】
コメ数1743、1位コメの「共感した」数は15000。
「共感した」数が多い順に5つピックアップ。

「宝塚歌劇団、公演のショーで使用の軍歌取りやめ 疑問視する声受け楽曲変更へ」9/24(水) 12:05配信の神戸新聞NEXTの記事。
(尚、このニュースはこちら:消えていれば削除されていますのでご了承ください。)
posted by ber at 14:20| 【 宝塚 】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする